自殺関与及び同意殺人(嘱託殺人)と「殺人」の違い・神奈川県座間市の事件を受けて

座間市の事件の概要

事件報道より(H29.11.7時点)

 平成29年10月31日ころより、神奈川県座間市で判明したショッキングな事件に関する報道が過熱しています。 事件の概要としては、神奈川県座間市のアパートに男女9名の遺体があることが判明し、そのアパートの居住者が死体遺棄の被疑事実で逮捕された、というものです。

 ただし、被疑者が殺人の関与を供述していることより、殺人に関する捜査が、捜査機関により現在進められているものと解されます。

事件の特殊性

 この事件では、被疑者が遺体と同居していただとか、猟奇的な殺人ではないかとか、SNSが悪用されているだとか、被疑者の身上が特殊であるだとか、いろいろな観点から報道がなされています。このような特殊性もあり、報道が過熱し、やや情緒的な反応も見られているような状況と解されます。

犯罪の分類

殺人罪

 殺人罪は、最も有名な犯罪の一つといえます。かけがえのない人の命を奪う犯罪であり、法定刑も下限が懲役5年と、極めて重いものとなっています。

 未遂のみならず、予備でさえ処罰の対象となります。

刑法第199条(殺人)

 人を殺した者は、死刑又は無期若しくは5年以上の懲役に処する。

自殺関与罪・同意殺人罪

 殺人罪には、自殺関与罪と同意殺人罪という類型があります。これは、単なる殺人ではなく、被害者の同意などがあるケースです。殺人罪よりは、法定刑は軽くなっています。

 他方、被害者の同意があるならば、犯罪とならない余地もありそうですが、刑法は、そのような規定にはなっていません。

刑法第202条(自殺関与及び同意殺人)

 人を教唆し若しくは幇助して自殺させ、又は人をその嘱託を受け若しくはその承諾を得て殺した者は、6月以上7年以下の懲役又は禁錮に処する。

自殺関与罪・同意殺人罪の処罰根拠

 自殺関与罪などが処罰の対象となるが、殺人罪よりも処罰が軽いとされる根拠につき、山口厚「刑法(第3版)」(有斐閣)によると、以下のように説明がなされています。

 自殺関与・同意殺人を処罰することは、生命のかけがえのない重要性から、自殺者・被殺者の当座の意思に優越する、生命保護の要請(パターナリズム)に基づくものである。しかし、生命侵害自体は自殺者・被殺者の意思に反しないことから、生命主体の意思に反する殺人罪よりも、軽い法定刑が定められている。

 さすがに、現在の日本最高の法理論家とも評価される、東京大学名誉教授、現最高裁判所判事(直近の衆議院議員選挙実施時に国民審査の対象となったので、名前に見覚えがある方もいるかと思われます)の説明というもので、非常にわかりやすいものです。

予想される裁判の展開など

死体遺棄か殺人か

 今回の事件のセンセーショナルぶりに照らせば、今後、本件について、検察による起訴が想定されます。

 本件につき、死体遺棄の限りで起訴されたとなれば、争うこともないと予想されます。そうなれば、裁判は粛々と進むのではないでしょうか。

 他方、殺人罪での起訴となれば、裁判員対象事件となります。その場合、報道の更なる過熱が容易に予想されます。

殺人罪の適用はあるか

 殺人罪で起訴された場合、理論上は、弁護側で、殺人自体を否定する可能性もあるでしょう。密室等で行われた殺人の場合、目撃者などの確保は容易ではなく、一般論として、客観的な証拠は得にくいものです。

 他方、自殺関与罪・同意殺人罪の限りでの犯罪成立を主張する可能性もあるでしょう。被疑者が殺人に関与していたことが事実として、報道などで確認されている、SNSを利用した殺人までの経緯も事実であれば、全く荒唐無稽な反論とも解されないためです。さらに、同意殺人罪などとなれば、上記の説明のとおり、法定刑が相当に軽くなります。そうでれば、弁護側の戦略としては、検討されうるものでしょう。

 ただし、同意殺人罪などが成立するためには、実務上は、「有効な自殺意思・被殺意思」が必要と解されています。このため、「騙したり、精神状態が不安定な被害者の状況に乗じて同意らしきものを得た」という場合には、有効な自殺意思及び被殺意思は認められず、殺人罪が成立するとされるのが、最高裁の基本的な考え方です。

 仮に、この争点が激しく争われた場合には、被疑者と被害者の実際のやり取りなどが、詳細に検討されることになるでしょう。裁判員には、かなり負担の重い事案になることが想定されます。

事案は流動的

 そもそも、捜査機関からの情報をソースとした報道限りでしか情報がないため、今後の見通しは、極めて流動的というべきです。

 被疑者により、殺人に関する有効な自白がなされる可能性もあります。そうなれば、上記の検討はなくなり、争点は、刑をどうするかといった内容に限定されるという展開もあるでしょう。

 このように、刑事裁判には制度的な限界はあります。とはいえ、できる限り真実が探求されることを期待します。