判例紹介・申述者の認知能力を検討し、相続放棄を無効とした決定(東京高裁H27.2.9決定、平成26年(ラ)2394号)

はじめに

 相続手続の際に、相続放棄がなされることがあります。この手続は、相続があったことを知ってから3か月以内に行わなければなりません。

 有効に相続放棄が行われた場合には、その法定相続人は最初から相続人でないものとみなされ、遺産分割の手続などからも排除されます。相続放棄は、行った者は遺産を取得できない地位になる一方で、他の相続人の持ち分を増加させる、重要な手続といえます

 このため、遺産争いになった場合には、相続放棄の有効性が争われることもあります。相続放棄が本人ではなく、他の親族などにより主導して行われたような場合が典型です。

参考条文

民法第915条(相続の承認又は放棄をすべき期間)

  1. 相続人は、自己のために相続の開始があったことを知った時から三箇月以内に、相続について、単純若しくは限定の承認又は放棄をしなければならない。ただし、この期間は、利害関係人又は検察官の請求によって、家庭裁判所において伸長することができる。
  2. 相続人は、相続の承認又は放棄をする前に、相続財産の調査をすることができる。

民法第938条(相続の放棄の方式)

 相続の放棄をしようとする者は、その旨を家庭裁判所に申述しなければならない。

家事審判手続法43条(手続からの排除)

  1. 家庭裁判所は、当事者となる資格を有しない者及び当事者である資格を喪失した者を家事審判の手続から排除することができる。
  2. 前項の規定による排除の裁判に対しては、即時抗告をすることができる。

紹介する事案について

 今回紹介する決定は、相続放棄の申述につき、これを行った者の当時の判断能力が低かったことを認定したうえで、無効と判断したものです(判例タイムズ1426号37頁)。相続放棄の外形こそあるものの、これは本人の意思によらず、親族の求めに応じてなされたものであり、無効とされた事案です。

事案の概要

争点 相続放棄の意思表示の有効性
抗告人(高裁への異議申立者)の属性 成年後見人(本人)の弁護士
決定の結論 相続放棄は無効である
考慮要素1 相続放棄は、抗告人の孫に求められたための手続と解される
考慮要素2 医師の意見書によると、本人の判断能力は8歳程度である
考慮要素3 別の医師の意見書では判断能力ありとされるが、専門医でもなく信用できない
考慮要素4 経済状況に照らすと、相続放棄を行う理由がない
考慮要素5 申述書の記載内容が、生活実態などから乖離している

決定の要旨

相続放棄が抗告人の意思に基づくかどうか

 抗告人は、平成二三年頃から進行し始めた認知症により、平成二六年○月下旬の時点では、精神上の障害は重度となっており、計算や物事の理解力が低下し、知能指数的には八歳程度の状態にあったものであるから、その約一か月半前の本件放棄申述をした同年○月○日の時点においても、基本的に同様の精神状態であったと認めるのが相当である。そして、抗告人は、G医師に対して相続放棄をしていないと述べ、本件放棄申述をしたことを自覚していないことや、抗告人にはBの遺産を除くと月額約二万九〇〇〇円の年金収入しかなく、抗告人の生活をまかなえる状態ではないのに、本件放棄申述の手続では「自分の生活が安定している」ことを相続放棄の理由としており、抗告人自身の経済状態を的確に把握、理解していたものとも認められないこと、抗告人はI後見人に対して相続放棄書を書いた方がいいと言われたから書いたと説明していること、そもそも、抗告人がBの遺産について本件放棄申述をする合理的な理由が見いだし難いことなどからすると、抗告人は、本件放棄申述に深く関与していたことをうかがわせるEに勧められるなどして、相続放棄の意味を理解できないまま本件放棄申述をしたものであり、本件放棄申述は抗告人の真意に基づくものではなかったと認めるのが相当である。

決定に関するコメント

相続放棄の有効性判断について

 相続財産がプラスのものばかりという場合、そもそも相続放棄を行う動機づけがないことが通常と解されます。本件では、遺産がプラスであったことや抗告人の生活状況からその動機づけのなさを認定し、医師の診断書などの周辺事情より、相続放棄は真意に基づかないものであるという認定を行っています。

 相続放棄手続に、本人ではない者(本件では抗告人の孫)の意思が働いていたような事情があると、その効力は疑われて然るべきものです。この疑いを、各種の事情から相続放棄の無効にまで結びつけた点が、特筆すべき内容と解されます。

本決定の意義

 医師の診断書は、本件でも雄弁であったと解されます。ある時点で認知症になってしまった方であっても、客観的な診断書等がないとなると、過去の判断能力を断定することは、容易ではありません。

 高齢の方が財産の処理などの重要な局面にある一方で、判断能力に疑いがあるという場合には、医師の診断を経ることも重要といえます。

補足

 以下のページも、よろしければご覧ください。

相続

相続等に関する裁判例