福井地裁が高浜原発再稼動差し止めの仮処分を決定した件について

 福井地方裁判所が、本日、高浜原発の再稼動を差し止める仮処分を決定しました。
画期的な内容と言ってよいと考えます。
とはいえ、裁判闘争は、間違いなく今後も続くことが予想されます。

 請求が出された以上、裁判所は何らかの結論を出さなければなりません。
原子力発電に関する行政の状況は、福島の事故後であっても「意図した不作為の積み重ね」のように見えます。
そうした不作為により、例えば再稼動一つにしても、誰の責任で決めることなのか、わかりにくくなっています。
そして、仮に将来的に事故が起きてしまった場合にも、その責任の所在は見えにくくなっています。
その中で、証拠と主張による判断で再稼動差し止めを示した裁判所の決定は、ひときわ目立ってみえます。

 裁判所が判断しなければ、このような国を二分するような論点に作為の楔を打ち込めないというのは、健全には見えません。
「文句があるなら裁判所に聞け」というのは、行政担当者は言うかもしれませんが、立法府のあるべき姿勢には見えません。
国会のみならず、地方議会をめぐる状況として伝え聞かれる内容からもわかる通り、日本では立法府が極めて弱い状態にあります。
 結果として、「何かしらの結論を出してくれる」裁判所に大きな負担がかかるというのは、無理も無いのでしょう。
とはいえ、裁判所は政治をするところではありません。
結果として重大な政治決定を裁判所が担ってしまうことになるのであれは、やはりそこには問題があると言わねばならないでしょう。
証拠と主張でしか結論を決められない裁判では、「民意の反映」などということは想定されないためです。
 
 結局、民意を反映させたいのであれは、国民が引き受けて考えて行動する他ありません。
その結論として、「再稼動を認めない」ということであれば、民主主義の制度趣旨からしても、すっきりします。
とはいえ、その手段を適切に用意するためには、選挙制度改革から始まって、投票価値の確保や、それに伴う区割り、行政区の捉え方の変更など、前提条件として必要なことが山のようにあります。
こちらの決定についても、現状は順当に不作為が積み上がっています。

 全体が変えられない以上、今後も裁判所の判断の一つ一つが大きく浮かび上がり、結果としてそこに期待するしかないという状況は、なかなか変わらないのでしょう。

 もどかしいような、日本の歴史の反復を見るような、表現の難しい感情にとらわれずにはいられません。